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2011年9月

2011年9月27日 (火)

瞑想用音楽2

(前回より続き)


前回は瞑想もどきと瞑想は違うと書きました

プロ野球と草野球くらいの差でしょうか。それほどの違いがあります

とはいえ、草野球でもやれば気持ちがよいし、身体も強くなるのと同じように、本格的とまではいかなくても、「瞑想」にはストレス軽減など様々な効果が報告されています

難しいことは後にしてまず慣れることが大切かと思います


すでに多くのかたが書かれていることは省略するとして、あまり書かれていないことを書くとします

音楽をかける効果の一つとして雑念に思いが行かないようにするというのがあります

よい意味で気を散らすわけです。心を落ち着かせるときには腹式呼吸でゆっくりと呼吸し、吐く息吸う息に意識を集中させるといいます

同時に吐く息吸う息に合わせて数を数えます。もちろん心の中でですが。雑念が浮かばないようにするためです

数え方は、吸ってひとーつ、吐いてふたーつ、でも吐いてひとーつ、吸ってふたーつ、でもどちらでもよいのですが、幾つまで数えるかといえば、幾つでもよいです

吸ってひとーつ、吐いてふたーつ、を繰り返してもよいし、十まで数えたらまた一に戻って数えてもよいです。日本語は十以上は頭に「じゅう」や「にじゅう」が付くだけなのでだんだんソラで数えられるようになると意識の集中効果が薄れてきます。英語なら20まででしょうか(母国語じゃないのでよく分かりません(;´∀`))


要するにその人が集中できればいいんです。

さらに300でも400でもいいですから逆から数えるという方法もあります

普段使わないような記憶領域を使って数えるので、雑念に意識がかなり行きにくくなるんです


なかなか集中できないときはそういう方法もよいと思います


さらにここで音楽をかけて、特に好きな曲の場合ですね、そちらに聴覚の意識が向かえば、雑念をさらに遠ざけることができます

ここで高次元に通じた音楽ならさらに心が高き世界に翔ける助けとなるでしょう

ではどのような音楽がよいでしょうか、それは次回に




2011年9月26日 (月)

瞑想用音楽1

今日は瞑想ビギナーである管理人のメモです


世間でいう瞑想は、心を静めて音楽に心を任せたり、何かイメージングしたりすることを指すようです

仏教では禅定といいます

定とはある一つの対象に心を集中して平安な状態にすることです。定(samadhi)の一種類が禅(dhyana)ですがよく二つをあわせて禅定という言い方をしています

禅定には三つの意味があります。精神の統一という意味、反省という意味、瞑想という意味です

禅定を段階別に分けると欲界定、色界定、無色界定に分けられます

欲界とは凡夫、世の多くの人が生まれてくる前にいた天国のことで、この天国の心を取り戻す禅定が欲界定です

色界は菩薩や菩薩修行中の人たちの出身世界で、無色界はそれ以上(梵天・如来)の世界のことで、その世界の心を取り戻す禅定をそれぞれ、色界定、無色界定といいます

欲界定、つまり初級の定ですが、この一番下の定を心清静といい、その次が五停心観(心を沈める五つの修法)です

その五停心観の一つが数息観、腹式呼吸をしながら吸う息と吐く息に意識を集中し、数を数えていく観法です

一般書を読むと、よく瞑想では、呼吸に意識を集中させなさい、そうして雑念を取りなさいと書いてあるものが多いのですが、仏教で言う欲界定のひとつ、五停心観の数息観がそれのことです

その上の段階に色界定があり、有名な四禅定は色界定の一つです

現代では、四禅定の本来の意義が忘れられていますが、幸福の科学の精舎では本来の四禅定の実習が毎朝行なわれています。関心のある方は最寄りの精舎に問い合わせてみてはいかがでしょうか


(続く)

(参考書籍)「沈黙の仏陀」「悟りの発見」「瞑想の極意」


PS.「世の中にはさまざまな瞑想のしかたが伝授され流布されておりますが、それらの多くは単に瞑想気分にひたっているだけだと言えるのではないでしょうか」

「ほんとうの瞑想、瞑想の実を出すための極意は、基本的な三つの心構えを持っていることにあると考えます」(「瞑想の極意」より)

確かに世間で言う瞑想は気分にひたっているだけでしょう。真の、本当の瞑想を経験することは、(ほとんどの場合)幸福の科学以外では無理だと思います

しかし、現代のようなストレス社会では、瞑想気分にひたるだけでもそれなりの効果はありますから、この日記はそういう人にも参考になるようにしたいと考えています




2011年9月21日 (水)

放射能はほんとうに危ないの?

なら火はあぶないから使っちゃいけない

水は津波や水難事故があるから危ない

石炭はガスが出るから危険

ということになりますね


正しくは

大量の放射能を短期間に浴びたら危ない

というのが正解です

昔から醤油を一升一気に飲んだら死ぬと言われています

実験した人はいないと思いますが

醤油の中の塩を大量に摂取するとそれだけ危険だということです

水ですら一気に何リットルか十リットルかを飲んだら中毒になり、場合によっては死に至るそうです

紫外線もそうだしケータイの電波もそう



何でもそうなんです、いっぺんに大量に、は害があるものなのです

それ(「大量に一気に」は危険である)を利用したのが原爆なんです

だから放射能が危険なのではありません

「いっぺんにたくさん」が危ないだけなのです

朝日を中心とした左翼系マスコミのデマには騙されないようにしたいものです


放射能汚染の実態-福島の被災者との対話
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2792

放射能は大丈夫か? 福島・首都圏の住民から健康被害が出ない理由【動画】
http://www.the-liberty.com/article.php?item_id=2725


posted by 管理人


2011年9月20日 (火)

【これはイイ!】おすすめブログ【LOVE日本】

朝日新聞の偏向報道から子供の未来を守る!会



これはお気に入りやRSSに登録して毎日チェックすべしwink

少しだけ記事の見出しを紹介します


AERA(2011.9.26日号) 武田邦彦氏の偏向発言

朝日新聞は、財政破たんを招く新聞社!

盗人猛々しい朝日新聞の社説 2011.9.19

週刊朝日の偏向報道 2011.09.23号

ジュニアエラ9月号の偏向報道②



★朝日の偏向報道を見つけた方は、ぜひ「あさまも」にご一報ください!
 メールはこちら→ asamamomail@yahoo.co.jp



posted by 管理人



2011年9月19日 (月)

日本の反核運動=中国の核兵器応援運動

今日は憂国のサムライ核防護学者・高田純教授の著書を紹介したいと思います

これを読めば、なぜ福島の原発事故についての高田教授の研究や意見が報道されないか、朝日を中心とする左翼メディアが意図的に排除している理由がなんとなく分かります

まえがきの一部を引用してみます


--
北朝鮮の核開発や国内核施設の些細なトラブルでさえ大騒ぎする日本のメディアが、中国共産党(中共)の核開発には沈黙するという決定的な事実に、筆者は気づいたのであった。

その隠蔽の総本山が、日本放送協会NHKであった。

人権が問題視された北京五輪開催に合わせて、同年七月に、筆者はシルクロードで強行されたメガトン級の核爆発が引き起こした未曽有の大災害を研究した『中国の核実験』を刊行した。

直後に、シルクロード番組を、局を挙げて力を入れてきたNHK取材班の健康影響を心配して、彼らの足取りを調査した。

驚いたことに、シルクロード取材班の幹部たちは、桜蘭周辺での核実験の事実を承知の上であったことがわかった。

歴史浪漫を全面に強調し、日本人の心を掴んだが、その周辺で続いていた核爆発や核汚染の危険を一切報じることはなかった。

中共の核実験は、平成八年まで継続していた。現地の核爆発は遠い昔話ではなかった。長年継続した大型企画番組と、桜蘭遺跡周辺や西遊記の舞台となった地域での核爆発は、同時進行していたのであった。

シルクロードでの中共の核爆発の総威力二十二メガトンは、広島が米軍から受けた核攻撃の実に一三七五発分に及ぶ。その核爆発が繰り返される中、NHKの番組に誘導されて二七万人もの日本人がウイグル地区へ観光してしまったのである。

いわば、それはNHKと中共が作り出した核地獄巡りツアーだった。

実際、筆者の元へは、現地の人たちの他に日本人観光客からも核爆発を目撃した声が届いている。白血病、肺がん、悪性リンパ腫を発症したという家族や知人からの情報も寄せられている。

桜蘭周辺に暮らすウイグル人の核被災を告発したドキュメンタリー番組「死のシルクロード」を、一九九八年(平成十年)に英国テレビ局が製作し、欧州八十三ヶ国で放送された。しかし、NHKはこの番組を日本には紹介しなかった。

それは、たまたまではなく、意図的なNHK幹部たちの企てだったとしか考えられない。それを放送すれば、自分達の首を締めることになるからである。

そればかりか、拙著の中国の核実験災害の報告を取材に来た読売新聞も、結局、記事にすることはなかった。それまで、核の専門家である私のところへ取材に来ていた、朝日、毎日新聞も、同様に、中国の核に関する私の研究を報道しない。

国内大手メディアは、各問題について、結局大きく偏向した情報を国民に植え付けていた。

日本では。『中国の核実験』刊行後、この問題について取り上げた新聞は、東京・中日新聞と産経新聞のみである。これまで私の世界調査を積極的に報じてきた広島本社の中国新聞は、この書を献本されているにもかかわらず、一切、中共の核の蛮行を報じない異常さである。

一方、原著『中国の核実験』の英語・ウイグル語翻訳版が刊行されるや否や、英国サンデータイムズ、米国サイエンス、露プラウダ、在外中華系の大紀元などの海外メディアは、一斉に筆者の研究を報じた。
--
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とても参考になるので一冊まるごと読むことをオススメします

posted by 管理人

2011年9月14日 (水)

ホッブズ、ロック、ルソーも無神論者の人権は認めていなかった

幸福実現NEWS24号

シリーズ日本再建5 本当の人権の話

より一部転載します


--
教育評論家 森口朗氏に聞く


「人権」とは、17 18世紀のヨーロッパでホッブズやロック、ルソーといった社会契約説を唱えた人たちが持ち出した概念です。


信仰なくして人権は成り立たない


当時のヨーロッパはキリスト教社会で、「人間は神によってつくられた存在である」というのがキリスト教の大前提です。

だからこそ、人間には他の動物とは違った尊いものが与えられていて、それが人権であるというのが基本となる考え方です。

ですから、人権という概念を考えるときには、必ず人間よりも上位の存在、つまり「人をつくり給うた者」を想定しないと、「なぜ人間には人権が与えられているのか」という論理的な説明が成り立たないんですね。

実際、ホッブズ、ロック、ルソーの三者ともに、無神論者は社会から排除することを主張しており、事実上、人権を認めていません。

キリスト教的な「神」、「神からつくられた人」、そして「人に与えられた人権」。この考え方に基づいて1776年に建国されたのがアメリカ合衆国です。

「アメリカ独立宣言」の前文には、信仰あってこその人権であることがうたわれています。


フランス革命に見る神なき人権の恐ろしさ


そしてアメリカ建国に遅れること13年、1789年にフランスで革命が起こりました。フランス革命といえば「人権宣言」が有名ですが、これは非常に変わったメンタリティーの中でつくられたものなんです。

フランス革命はキリスト教会に対するアンチテーゼという形をとっており、革命政権はキリスト教の神を否定しました。

しかし、人より上の存在がないと人権が論理的に成り立たないがために、彼らは「最高存在」というものを発明し、それを信仰しようとしたんです。

アメリカ建国と異なり、信仰を否定したフランス革命では、当然のことながら宗教弾圧が起きました。教会財産は没収。反革命容疑者1万5千人が数日のうちに処刑されたり、信仰心の篤い人々が内戦を起こし、40万人の死者が出たりしました。

やがて、処刑への恐怖から誰も権力者に逆らわなくなると、独裁政治が敷かれるに至りました。
そこでは「プレリアール法」というものがつくられ、「すべての市民は反革命分子をとらえ、治安判事の前に彼らを連れてくるための権限を与えられる。反革命的行為を発見したものは、直ちにそれを非難することを求められる」ことになりました。

誰もがスパイのように、「コイツは国民会議の悪口を言っていた」などと報告しなくてはいけなくなったのです。かつてのソ連や東ドイツでもそうでしたが、恐怖政治が行われるときには、必ずそういうメンタリティーが出てきます。

こうしたフランス革命政権のありようから、神なき人権の恐ろしさが見てとれるのではないかと思います。


日本の人権論の誤り


翻って、現代日本の人権論を見ていきましょう。
戦後民主主義思想の下、日本では、神や仏という人間より上位の存在が否定されたため、人権と信仰がセットになっていません。

しかも、無神論者である左翼の人々が人権派と呼ばれたりするのです。
彼らは「日本国憲法に書いてあるから、人は人権を認められる」という言い方をしますが、そんな論理がまかり通るのならば、憲法を変えてしまえば人権停止ができるわけです。

しかし、憲法はあくまでも人権を守るための強力な手段にすぎないのであって、憲法から人権が生まれるわけではありません。

本来、人権において最も重要なのは、「信仰の自由」「思想良心の自由」「言論活動の自由」であり、それに「経済活動の自由」が続きます。

ところが、神なき人権の下では、人権の比重というものが見えてきません。
宗教を否定する日本の教育現場では、そもそも人間に起因する権利が人権だとされます。

そのため、自分が傷ついたら、即「人権侵害」を訴えたり、「子供には遊ぶ権利がある」と主張するような、「小さな暴君」が生み出されていったのです。

つまり、無神論者が人権を振りかざしたことが、日本の戦後教育の最大の間違いだと言っていいでしょう。いじめや学力低下といった問題も、そこから派生したのです。
--


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2011年9月13日 (火)

国への尊敬を失った大人たちへ

外国で伝道をするにつけても、この日本の国の立っている地盤の弱さというか、脆弱さというか、まるでぬかるみの上に立っているような足元の弱さを感じます。

精神的基盤が弱く、とてもひ弱です。精神的なバックボーンがないのです。まさに、「漂える国」です。
この島国は、海中の底深く、地球の奥にまでつながっているのか、それとも、海面に浮かんでいるクラゲのように漂っているだけの国なのか、そういうことが本当に気にかかります。

さらに、精神的バックボーンのなさが、国の政治や外交をはじめ、さまざまなところに影響を及ぼしています。
教育においても、非常に情けない価値観を子供たちに教え続けています。その反作用が、主として国公立学校における学級崩壊や教育崩壊として表れ、そして、いじめ問題等へとつながっていっているように思えるのです。

国への尊敬を失った大人たちによって育てられた子供たちが、本当の意味で生きがいを見いだし、やりがいを見いだし、未来に自信を持つということは、非常に難しいのではないかと感じます。

私は、何度も繰り返し述べていますが、この日本という国に一本、きちっと背骨を立てたいのです。
背骨を通したいのです。このクラゲのような国に、背骨をきちんと入れたいのです。
その背骨に当たるものは、国家としての基本的な精神です。

その基本的な精神はどこから来ているかと言うと、道徳から来ており、道徳のもとにあるものは宗教です。
宗教は哲学の上に立つものなのです。



月刊幸福の科学2011年9月号「『救世の法』講義」より




2011年9月 5日 (月)

心の指針(81) 劣等感製造機

世の中には、

劣等感製造機のような人もいる。

とにかく、ひまさえあれば、

他人との比較にエネルギーを使い、

自分の不幸感覚を培養しているのだ。
Image01

劣等感にも、

自分勝手にそう思いこんでいるだけの、

主観的劣等感と、

他の人からみても、

はっきりと劣っていると認定される事実からくる、

客観的劣等感もある。
Image02

だが、

背の高い、低い、

太っている、やせているといった、

一見、データではっきり判別できそうな事実でも、

不幸感覚の原因としてみると、

主観的とも、客観的ともいいかねものがある。
Image03

世の大部分の人は、

主観的劣等感とも、

客観的劣等感ともわかりかねる、

ぼんやりとした、

中間的劣等感の海で漂っている。


劣等感製造機の機能を、

高めすぎないように努力した方がよい。
Image04


(幸福の科学公式サイトの「心の指針」より)




2011年9月 2日 (金)

心の中に夢を持て

夢の中で飛翔せよ。

夢の中で自己を拡大せよ。

夢の中で大いに生きよ。

夢の中で自らを限定するなかれ。


人間よ、必ず、心の中に夢を持て。

夢なき時、汝は死したのである。

夢なき時、汝は老いたのである。

人間よ、老いこんではならない。

永遠の若さを保て。

永遠の若さとは、

すなわち、夢を抱く力である。夢を想う力である。

夢の中に限界が現れた時に、

汝の限界もまた画されるのだ。


人びとよ、夢を描く能力がいくら多くとも、

だれに恥ずることもないということを知れ。

夢を描く能力が、どれだけ大きいかを誇れ。




結局、ポイントはここにあるということです。

天御中主神も、現実の問題がいろいろ難しいことは知っているわけですけれども、その難しさを何をもって乗り切ってゆくかというと、夢を抱く力で乗り切ってゆけと言うわけです。

光を信じ、人間が善なるものであることを信じ、そして現実に幸福を獲得してゆく方法は夢であるということです。


光ある時を生きよ」より


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