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2010年10月22日 (金)

政教分離のよい面、悪い面

日本国憲法が定める「政教分離」(憲法二〇条)というものは、宗教にとっては、よい面も悪い面も両方あります。


政治から見て政教分離が大事だと思われるのは、ひとつには、いま言ったように、邪教によって国政が壟断される場合です。(*1)

こうなると大変なことになりますから、政治と宗教が分かれていたほうが、ありがたいのです。


また邪教ではなくとも、非常に後れている低級宗教によって国が指導された場合も、不幸になります。


あまりはっきり言いすぎると問題がありますが、戦前の日本には、そうした面がなきにしもあらずだったのではないかと思います。

先進国の高等宗教に比べて、日本のアニミズム型の国家神道は少しレベルが低く、これが個人の目覚めを妨げていた面があったのではないかと思います。

ただ、きょうは、これについて深入りはしません。


日本以外の国においても、後れている旧い宗教によって、政治が足枷をはめられて困っている面が、たくさんあります。

イスラム圏でも、そのような感じがします。

こうした場合には、政治と宗教は分かれたほうがいいと思います。


それでは、よい宗教の場合はどうなのかというと、よい宗教がよい政治と連動した場合には、最高の幸福がもたらされることがあります。

仏教においては、過去、宗教的政治家が出たときには、最高の幸福が実現しています。


日本においても、聖徳太子という方が出てきた時代は、やはり、すばらしい時代でした。聖徳太子が制定した有名な「十七条憲法」の第一条は、「和を以て貴しとなせ」です。

第二条は「篤く三宝を敬え」です。三宝とは仏・法・僧のことですから、「仏・法・僧を敬いなさい」ということが、十七条憲法の第二条に出ているのです。

聖徳太子はそうした宗教国家をめざしていたのでしょう。


聖徳太子のその精神は、民主主義的精神と仏法的精神を、同時に兼ね備えていたと思います。

これは、その後の日本の国是のようになり、日本の国にとっては非常に幸福な道を開いたと思います。

このように、よい宗教とよい政治が結びついたときには、よい結果が生まれるのです。


しかし、よい宗教と堕落した政治が結びついたときは、厳しいことになります。

政治が非常に堕落している場合には、こうした政治と関係することによって、宗教そのものも堕落して、危なくなることがあるのです。(*2)

こうした場合は、宗教は政治に対して一定の距離をとらなければいけないこともあります。


政治と宗教に関しては、以上の四通りぐらいの場合分けがありえる、ということを頭に置いておいてください。


要するに、政教分離というのは、人類の普遍的な真理ではありません。

これは、キリスト教国においては宗教戦争がよく起きたので、宗教と政治を分けておいたほうがいいだろうという、技術的な知恵でもって出来たものなのです。

世界的な歴史で見れば、宗教と政治はもとが一緒ですから、非常に近い関係にあるのが普通です。(*3)



「愛、悟り、そして地球」(1995年)より


(*1)95年当時の新進党によるお題目ファシズムへの警告のこと

(*2)堕落した政治の例として当時の社会党首首相による政権を念頭においている。現在でいえば左派が牛耳る民主党政権とそれを支える新宗連(立正佼成会等)の関係もこれにあたるであろう

(*3)日本語では政(まつりごと=政治)は祭事(まつりごと=宗教)であり元は同じである。政と祭事の最高位を兼ね備える存在が天皇であった




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