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2010年7月24日 (土)

目的も手段も正しくなければならない

三密とは「身・口・意(しん・く・い)」といって、身体と言葉と心です。

この三つについて調えることが、正しい宗教のあり方であり、正しい修行のあり方なのです。

「宗教改革の精神」という以上、何が正しくて何が正しくないのかをチェックしなくてはなりません。

ひとつの基準として、三密あるいは三業というべき「身・口・意」を出したわけです。

「身」とは、その宗教者がどのような身体生活をしているかを見ることです。

「口」とは、その人の語っている言葉はどのようなものであるかを見ることです。

「意」とは、その人の思がどういうところにあるかを見ることです。

この三つを見れば、正しい宗教かどうか、あるいは、その人が宗教者として正しい修行をしているかどうかが、ある程度わかるということです。

これは大事なところです。

「身」のところでは、常軌を逸したような生活をしている人や、素行があまりにも異常な人というのは、おかしいと思って先ず間違いがないということです。



「口」というのは言葉です。ここでは悪口や騙しが問題となります。

悪口のことを悪口(あっこう)などともいいますが、昔の仏教用語では悪口(あっく)といいます。

創価学会系統では、人の悪口をものすごく激しく言います。

また、統一教会系統では、「神の欺き、騙し」などといって、「神のためであれば、いくら騙してもかまわない」ということを堂々と教えています。

これが悪口(あっく)です。

間違った宗教は、結局、「目的が正しければ、手段として何をやってもかまわない」というところへ持ってくるのです。

しかも、自分たちの目的が正しいということを、信者に信じ込ませています。

これが一つのパターンなのです。

しかし、目的が正しいのであるならば、それ相応の社会的妥当性・相当性がある手段をとるべきだと思います。

仮に目的が正しいとしても、手段のところがあまりにも異常すぎると、やっている人たちがそのうちにおかしくなってきて、結局、正しい目的まで行けなくなるのです。

その途中の手段にも、生きて修行をしている人間たちが狂わないような、健全な防波堤が、ある程度は必要だと思います。


したがって、たとえ目的が正しいとしても、ある程度の合理的な範囲のなかで行動するという、手段の相当性が大事なのです。

宗教的には、ある程度の方便というものもありますが、限度を超えると、この「口」のところで間違いになりますから、気をつけないといけません。



大川隆法「悟りに至る道」講義(1993年)より




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