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2010年3月 3日 (水)

神々は集う~天皇の起源2

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日本の国民性に大きな影響を与えた天照大神
神示により一豪族の娘が女王となる
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(前回の続き)紀元前七六五年、現在の大分県のあたりに伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が生まれました。

彼は、二四歳のときに、伊邪那美命(いざなみのみこと)と知り合い、結婚をします。

そして、この二人の正常な夫婦の営みの結果生まれたのが、後に天照大神(あまてらすおおみかみ)と呼ばれる女性です。

その二歳下の弟として生まれたのが、須佐之男命(すさのおのみこと)です。

天照大神は、母の伊邪那美によく似て、とても穏やかで、おとなしい性格でしたが、それに反して、須佐之男命は、たいへん荒々しい性格を持っておりました。

天照大神は、日本神道系では、最高神、あるいは、主宰神のように言われております。

というのは、天照大神は、女性でありながらも、初めての女帝の地位、すなわち、高千穂国の女王となったことに起因しているのです。

天御中主命から数えて五代目ぐらいの国王にあたります。

天照大神が初めて女王となったのは、高天原、すなわち、八次元如来界から天御中主命の神示が下ったからです。

「我が国を、美しく、麗しき国となすために、女性に統治させるときがきた。伊邪那岐命という高徳の人がおられるから捜し出せ。その娘が、我が国を取り仕切る方である」と命令されました。

このように、神代の時代は、天上界からの神示を受けて、次期政権担当者が選ばれたのです。

しかも、国王の地位も終身制ではなく、その人の心に邪神や欲心が出てきた場合には、天上界から神示が下って交代させられました。

祭政一致とよく言いますが、当時は、霊能者の数も多く、また、人々から大変な尊敬を受けていたのです。

普通は、最高の霊能者が統治者となり、神示を仰ぎつつ、国政を取り仕切っておりました。



さて、天照大神は、決して王族ではなく、一豪族、伊邪那岐命の娘だったにすぎませんが、神示によって、女王に迎え入れられます。

彼女は、非常に気品のあるおおらかな女性で、物腰もやわらかで、それでいて、人々を畏怖させるような神々しい威厳がありました。

在位は二十年ぐらいでしたが、その間、国威は上がり、朝貢して来る人が跡を絶たなかったようです。

その弟の須佐之男命は、先述したように、姉と対照的で、たいへん荒々しい武人でした。

政治的には姉と意見が合わず、彼女をよく困らせたりもしました。



この頃、天照大神は、須佐之男命の乱行の鎮まりを祈願して、天之岩戸に隠れていたのですが、このとき、八十日ぶりに岩戸から出て、弟といったんは和解しております。

しかし、やがて、須佐之男命は新羅(朝鮮)まで遠征し、これを機に、高千穂国から追放されるのです。(続く)
 
 
(大川隆法『黄金の法』「太陽の昇る国」より)

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