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2010年3月 5日 (金)

神々は集う~天皇の起源3

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九州の大和国が東征して大和朝廷に
春と秋の祭を卑弥呼が始める
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(前回の続き)初めての女王として、天照大神のように霊格の高い女性が出て来たことは、我が国の国民性に少なからず影響を与えたようです。

とくに天照大神の女性らしいおおらかさ、繊細さ、穏やかさ、優雅さ、美しさなどの特質は、後々まで、大和心として伝わってゆきます。



卑弥呼が九州に生まれた頃は、西洋では、イエスが亡くなり、弟子たちも亡くなり、その後、原始キリスト教会がようやく盛んになってきた時代です。

すなわち、紀元二〇〇年を少し過ぎた頃です。

卑弥呼の時代には、天照大神の高千穂国は弱小国になっておりました。

そして、九州の阿蘇が見える有明海に臨む地域に、中国の歴史では邪馬台国と呼ばれている国、当時、我が国では大和国(やまとのくに)といわれていた一大勢力があって、九州三十余国を制圧していたのです。

この大和国は、後に、大和朝廷へと発展してゆきます。

卑弥呼は当て字で、ほんとうは日向(ひむか)と呼ばれていました。

卑弥呼は、やはり優れた霊能者であり、天上界の天照大神から神示を受けて政(祭)を執り行っておりました。

ですから、当時の大和国の主宰神だったのは、実際には、七、八百年前に出ていた天照大神なのです。

卑弥呼の政治の特徴は三点ありました。

一番目は、毎週一回、神降ろしをして、国政の判断をしたこと、

二番目は、女性を数多く政治にも登用したこと、

三番目には、春と秋には祭をやり始めたことです。

当時は、血統ということが重んじられていたので、血族結婚も多く、卑弥呼の事実上の夫は、彼女の弟でした。

やがてこの系統から大帯日子淤斯呂和気命(おほたらしひこおしろわけのみこと)(景行天皇)が出、その皇子が日本武尊(やまとたけるのみこと)であり、妻が弟橘媛(おとたちばなひめ)です。

だいたい、三世紀の終わり頃から四世紀の初めにかけてのことで、この頃、九州の朝廷が東征して、現在の奈良地域を中心として、大和朝廷を築きました。

初代の天皇とされる神武天皇(神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと))は、東征の英雄モデルがあったにせよ、現在、学問的には実在が疑われています。(注)

須佐之男命と日本武尊の英雄伝説が神武伝説形成にかなり影響していると思われます。

日本武尊は、如来界の方で、国づくりの高級霊の一柱でした。

過去世には、中国で漢王朝成立の立役者、韓信(前三世紀-同二世紀)、明治期の日本には、陸軍大将、元帥、山県有朋(一八三八年-一九二二年)として生まれました。
 
 
(大川隆法『黄金の法』「太陽の昇る国」より)

(注)九州から畿内へと東征した神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)は実在の人物であるが、神武天皇としては即位していない。西郷隆盛の過去世でもある(西郷隆盛の霊言より)

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